主人の母は91才で他界しましたが、
義母との約30年間は、私にとって忘れることは
無い通絶なドラマとなりました。
義母は戦争で両親を亡くし、
6人兄妹の長女として、
子どもたちだけで生きのびるため
大変苦労をして生きてきた人でした。
苦労した分これからは大切にしてあげようと思い、
結婚を機に同居をして、
義母の為によく尽くしました。
実の息子や娘よりも一番仲が良く、
ご近所からは本当の親子と思われるほど
仲の良い嫁姑でした。
母は私を頼り、よく「私はいい嫁を得て
幸せだ」と言ってくれていました。
ところが、人生は突然どうなるか
本当にわからないということが起こるのです。
私が53才、母が86才の時、
近所のご住職がなくなった際に出す、
香典の金額をめぐって突然怒り出しました。
その怒りは全く収まらず、
「あんたが恐ろしい!こんな家にはいられない。
私は出ていく。家は売るから…」
そう言って、何を言っても
怒りで狂わんばかりに逆上し、
家を出ていき、「家を売る」と調停、
そして裁判に持ち込みました。
土地も家も、2世帯で
1/2ずつ共有になっていたため、
売って現金に換え、名義分として
半額を返せということでした。
なぜ?大事な家族だったはずが、
お金が欲しいがために息子夫婦と孫が
住む家を本気で売り、
自ら縁を切り孤独になる道を選んでいくのか、
当時は全くわからず大切にしただけにむなしく、
段々自分の中で母が恐ろしくなっていくのです。
住宅ローンを払ったのは私達夫婦だったので、
文字通り家を取られ追い出されるということでした。
調停で会う母はまるで鬼に見え、
私は姿を見ると怯えてしまうほどになり、
親子で争いたくない私たちは「敗訴でいいです」と
弁護士に告げ戦うのをやめました。
その代わり金輪際の縁を切り、
母は死んだものとして、
全てを忘れ新しく生き直そうと決めました。
それも精一杯、実の親以上に大切にした年月に
全く負い目も悔いも無く、戦うのをやめて
母の思うようにさせてあげた、
そういう自分を誇れたからでした。
これが「ゆるし」だったのです。
その後の展開は、何とも不思議なことの連続で、
誰かが引っ張っているとしか
思えないことが次々に起こり、
家を新しく購入し、生活を一新した方が
よっぽどよかったということになっていくのです。
極めつけは、新しい地で病院を変えたことで
主人はステージ1で癌を早期発見し、
治療により回復することができました。
新しくやり直していなかったら、
きっと命はなかったことと思います。
4年を迎えたころ、実の親子がこのままでは
ダメなのではと母を探して、
見つけた時、母はたった一人で
胃がんの手術を受け退院したばかりで、
耳が聞こえなくなっていました。
そして、主人の妹である大事な娘を
やはり癌で失っていたのです。
それを聞き、我が子に先立たれる
苦しみを背負った母を、
もう十分制裁を受けたとゆるしました。
90才で一人孤独になった母を、
残りの時間大切にしてあげようと、
何もなかったようにお互い家のことは
何も触れず、仲良くし、
お正月を我が家で迎えた後、3月1日に91才で、
主人と私に両方の手を約1時間ほど
握られながら眠るように…
お互いが幸せな最後となりました。
一時は鬼と化した母でしたが
最期はかわいい天使でした。
彼女はきっと彼女の人生の中で
一度愛から離れて愛に戻り、
最も大切であることに気づいた
愛に包まれて幸せに逝きました。
私は母を通して「ゆるし」の
大切さを教えてもらえた
宇宙からのGiftだったと確信しています。
そして亡くなってから、
家を売って手にした金額の倍以上の
お金を私たちに残してくれました。
今では、その母の生き様を心から尊敬しています。
宇宙はどこまでも優しい…
私は優しさに包まれています。